家事(育児を含む)について考える

2、3年程前に、専業主婦のイメージの貧困さについて嘆いたことがあった。例えば。働く人からは、楽な生活を送っている人たちだとか、年金泥棒とか言われているし、男性が牛耳っている政財界は、専業主婦を雇用弁に使いたいばかりに、彼女たちを価値ある仕事をしていると褒め殺しして、彼女たちを専業主婦といういつでも使える潜在的労働者の立場においていた。使い勝手のいい労働者だ。また、夫からは、「誰のお陰でご飯が食べられると思っているんだ!」といまだ言われている専業主婦がいるかもしれない。

あるいはこう考える人もいるだろう。専業主婦の家事は報われて楽しい時があるかもしれないけれども、毎日同じことをやらなければいけないということは、徒労感を生むかもしれない。それも家事は基本的に一人でやることが多いので(誰が自宅の汚い所を他人に見せたいだろうか?)、孤独に陥ることだってあるかもしれない。そう、アメリカのかのベティ・フリーダンが発見した、専業主婦特有の生きづらさを強調するのだ。50年以上も前の話だったはずなのに。そういう人たちは、時間の経過に関係なく、外に出なさい、と専業主婦の耳元でささやいているのだろう。

いや、もっと急進的な人もいる。例えば、竹信三恵子。2013年に出版された彼女の『家事労働ハラスメント』は、フェミニストの立場から書かれた家事労働論だ。彼女によると、女性は家事労働に従事するがために、労働市場では、融通がきかない労働者とみられ、労働力を買いたたかれるという。「家事労働を貶めて、労働時間などの設計から削除し、家事労働に携わる働き手を忌避し、買いたたく」(ix)。そして、みんなそのことを知っているのに、知らないふりをして、状況を変えない。本書は、こういった「家事労働に対する嫌がらせ」を通じた女性の労働市場からの疎外に対して怒りをぶつけたものである。もちろん、解決策も論じてあり、コンビンシングだ。

家事を労働市場と結びつけず、家事だけを取り出して、その素晴らしさを説く人もいる。料理本を書いている人や、収納術の達人たちは、家事を楽しくすることで生活が輝いてくる、というようなことを言う。専業主婦(と専業主婦予備軍)を購読者と想定して荒稼ぎをする輩たちの物言いだ。

こういうものを読み知って、なんてクリシェな表現だろうと、専業主婦って、彼女たちがやっている家事って、そんなものなの?と私は思い悩んだ。どの表現も専業主婦以外から生まれたものだ。肝心の専業主婦はサバルタンで、自分たちのこととか家事とは何かとかについて語ろうとしないし、語ったとしてもクリシェな表現に引っ張られて無難な表現に落ち着いている。当事者の声が聞こえてこない。ということで、専業主婦のイメージは貧困だと思った次第である。イメージが貧困だと、専業主婦はその貧困なイメージで視られて、生きづらいだろうと思うのである。

そこに黒船がやってきた。もう話題になっていないかもしれないけど、『ハウスワイフ2.0』。今、アメリカの中流階級の女性たちが労働市場から撤退して、家事に回帰しているというのだ。といっても、彼女たちが回帰している家事は50年前の家事とは異なる。確かに、手作りの食事、手作りの洋服、手作りの洗剤、ホームスクーリング等は昔もやられていたことだろう。だが、理念が違う。昔は家族のため。今は、グローバル化のもと、材料も生産者も流通もなにも分からなくなり、信頼できるのは、自分で作ったものだけ、という、消費者の立場からの手作り家事への回帰なのだ。そう、グローバル化に反対する消費者運動の一環としての家事への回帰である。

ハウスワイフ2.0は、私たちに問う。グローバル化で起きていることに対して、あなたはどのような立場を取るのかと。ハウスワイフ2.0たちは、職を辞めたり、あるいは始めから職に就かなかったり、最悪の場合は失職をしたのかもしれない。しかし、家事に専念し始めた理由がどうであれ、彼女たちが、家事という武器を使って、グローバル化に抵抗している現象は否定出来ない。こう言うと、彼女たちは、夫が生活費を稼いでくれるからそのような抵抗する時間が持てるのだ。贅沢な抵抗だ、と言う人もいるかもしれない。が、そう批判する人は、実際、グローバル化に対して何か抵抗実践をやっているのか?本を書いたり、ブログを書いたり、ツィートしているだけではないか。

ハウスワイフ2.0たちは、中流階級出身だと書いた。本書を読めば分かるように、教養のある女性たちが多い。彼女たちは、自分が専業主婦というどんなにか経済的に危うい立場にいるのかどこかで分かっているはずだ。そして、そういう自分の状況を知ってなお、その危険な状況に飛び込んでいっている。彼女たちは、先の見えない生活設計と引き替えに政治闘争を引き受けた、と私は考える。家事を通して幸せを追求しているように見える彼女たちの姿の背後には、多くの問題を引き起こしているグローバル化への抵抗への意志が、当の本人たちは意識していないかもしれないけれども、読み取れる。

ハウスワイフ2.0現象は、専業主婦が起こした一大ムーブメントである。が、そのムーブメントがどこに行き着くか、誰も予想出来ない。本人にも分からない。ただ、彼女たちは「政治的無意識」(F.ジェイムソン)に突き動かされて、家事に励む。私は、危うい生活設計のもとで手作り家事をあえて大切にするという彼女たちの勇気を称えたい。そして思うのは、専業主婦や家事はかように柔軟なものであり、その存在や使い方を政財界や夫に独占されてはたまらない、ということだ。