2009-04-01から1ヶ月間の記事一覧

犬と女子小学生

犬を散歩させているときである。低学年らしき女子小学生に途中で出くわした。我が家の犬トントンは、小学生が大好きである。ちょろちょろ動き回ったり、奇声をあげながら遊んでいるのが特にお気に入りで、自分も一緒に遊びたいと考えているようだ。それで、…

『腑ぬけども、悲しみの愛を見せろ』

昨晩遅くに、録画しておいた映画『腑ぬけども、悲しみの愛を見せろ』(吉田大八監督、2007年)を見た。日本映画で久々のヒット。勝因は、登場人物が内面をもっていないこと。内面をもつというのは、「私は見た感じはこうかもしれないけれども、本当はこ…

『走ることについて語るときに僕の語ること』

村上春樹は、1982年の秋、職業作家としての生活を開始してから、今日現在までずっと走り続けている。天気の良い日とか、時間が空いているときとか、涼しい季節にとか、なんとなくその日の気分でとかいう感じで走っているのではない。26年間、毎日走っ…

ドラマ「アイシテル」

テレビドラマにはまりそうだ。そのドラマは「アイシテル。」マンガの『アイシテル〜海容〜』(伊藤実、2007)が原作という。原作は未読なのでアマゾンであらすじを読んだ。子ども(息子)が子ども(息子)を殺す事件が起こり、なぜ殺したのか、物語はそ…

男性不信の女性

男性不信の女性にとって、当たり前のことだが、男性はいつも加害者の立場にいる。だから、夜遅く帰宅するとき男性が後ろから歩いてきたり、エレベーターに男性とふたりきりになったりすると、その男性が怖い。何されるかわからないという気持ちに支配される…

黒色綺譚カナリア派

赤澤ムックは劇団「黒色綺譚カナリア派」の主宰者であり、劇作家・演出家・女優でもある。なぜだかわからないが名前を知っていたので、彼女作・演出の演劇を見に行った。「義弟の井戸」という。劇は古典的な悲恋もの。女は山の手のお嬢さん、男が下町の職人…

フェミニズムがL文学化する−(12)まとめ−

フェミニズム言説がL文学化する現象は、フェミニズムが再生するための努力の表れだった。だからといって、L文学化しようと呪文のように唱えればそれでいいというわけではない。実際、L文学化するには、書き手の大変な努力が必要とされる。と思っていたが…

社会派ベタ記事

朝日新聞を読んで馬脚という言葉を思い出す。馬脚をあらわしたのは4月9日の夕刊15面のベタ記事。新聞の顔である社説でなくて、あまり注意がおよばないベタ記事に真の姿というものは表れるのだなあとつくづく実感する。問題の記事はDV事件の短い報道で…

フェミニズム言説がL文学化する −(11)フェミニズム言説はどうL文学化したのか−

フェミニズム言説がほぼ完全にL文学化したのは斎藤美奈子によってである。そもそも、L文学という括りをつくったのが彼女だから当然の帰結だと思われるかもしれないが、そうなのである。斎藤の前にL文学化した本の例があるのではないかという反論もあると…

「三文オペラ」を見る

ブレヒトの音楽劇「三文オペラ」を見る。演出は宮本亜門。ポストモダンの意外な一面を発見した感じがする。原作者のブレヒトならば悪く受けとるだろうが、演出に関して個人的にはなるほどと思わせるものがあった。と言っても演劇を見るのは、テレビで放送さ…

フェミニズム言説がL文学化する−(10)フェミニズム言説はどうL文学化したのか−

上野の美意識は横に置いておくにしても、彼女の「オシャベリ文体」は幅広い読者層に訴求力があった。ただ、彼女の本がベストセラーになる背景にフェミニズム側からの自身に対する反省があったのも確かで、今では、その反省を無視しては、フェミニズム言説を…

長くつづくもの

『荒野の七人』(1960)をひさしぶりに見る。内容は分かっているので、『七人の侍』とキャスト合わせをして楽しもうということになった。ユル・ブリンナーは志村喬で、ホルスト・ブッフホルツは菊千代だから三船敏郎。三船敏郎はブレイクしたのに、この…

フェミニズム言説がL文学化する−(9)フェミニズム言説はどうL文学化したのか−

フェミニズム言説の前駆快感化あるいは快楽化。この延長線上でベストセラーになったのが、上野千鶴子の『おひとりさまの老後』(2008年)である。上野千鶴子は、常に自分に降りかかってくる問題について研究する。年月の経過とともに、関心の対象や考え…