女性学

家事(育児を含む)について考える

2、3年程前に、専業主婦のイメージの貧困さについて嘆いたことがあった。例えば。働く人からは、楽な生活を送っている人たちだとか、年金泥棒とか言われているし、男性が牛耳っている政財界は、専業主婦を雇用弁に使いたいばかりに、彼女たちを価値ある仕…

キャロル・ギリガンはカントと出会っていた

キャロル・ギリガンは20世紀後半に女性学の分野で活躍したアメリカの発達心理学者である。彼女を著名にしたのは、1982年に発表された『もうひとつの声』である。ここで彼女は、後に「ケアの倫理」と呼ばれることになる、女性がもつとされる特徴を述べ…

熟議や討議は政治手法としてどうなのか?

東浩紀の「一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル」と岡野八代の「フェミニズムの政治学 ケアの倫理をグローバル社会へ」を同時に読んでいる。それで悩んでいる。両者とも、社会をドラスティックに変えようというところでは一致しているのだが、その政…

異なる声 (10)

アメリカの都市部の黒人ゲットーを想像してみよう。そこには、暴力とか貧困とか家族崩壊とか最底辺の生とかを多くの人が想像することだろうと思う。しかし、そういう一面があることは否めないにしても、異なる角度から見てみると、黒人家族同士が相互扶助し…

異なる声 (9)

自己犠牲は女性の美徳であると長い間考えられてきたし、今もそう思われている。私も美徳だと思う。例えば、家族の誰もが自分の事ばかりに関心をもち、家族全体のためにやるべき事をしない場合を想定してみよう。こんな場合、料理や洗濯や掃除や育児や介護を…

異なる声 (8)

女性が子供を産む、産まないを決める。いわゆる女性はリプロダクティブ・ライツをもつとされている。女性という個人が、産む、産まないを決定する権利を有しているということだ。だからといって、リプロダクティブ・ライツが普遍的な権利である、と言うこと…

異なる声 (7)

道徳問題を扱う際に、男性は普遍的な規則を参照するが、女性は他の人との関係性を重視するというのがギリガンが観察から得た知見であった。こう書くと、それは男女の本質主義に繋がるという、前回紹介した上野千鶴子がもつ批判に曝されることになるかもしれ…

結婚しなくてもいい (3)

「それでも、生きていく」(フジテレビ)は、殺人の被害者家族と加害者家族の心の行き交いを描いたドラマである。なかでも、妹を殺された兄の瑛太と、少年であった殺人犯の兄をもつ妹・満島ひかりとの恋愛へと発展していく交流が中心を占め、秀逸。展開具合…

結婚しなくてもいい (2)

結婚しなくてもいい。まるで、人々は結婚という社会制度から解放されて、何か別の可能性へと開かれつつあるようである。そして、敢えて言語化するとすれば、その可能性のひとつが、血縁を下敷きとしない家族を想像していくことだったと言える。角田光代が「…

結婚しなくてもいい (1)

2011年12月17日の朝日新聞夕刊は、昨年放送されたドラマを回顧している。それによれば、昨年のドラマは「絆を問う再生の物語」に集約出来るという。記事いわく、「震災以来、「絆」という言葉がどれほど語られたか。各局が心血を注ぐ震災ドキュメン…

異なる声 (6)

女性が関係性を重視するというのは、いろんな人が述べていることである。例えば、精神科医の斉藤環は、男女の差異について、男性は所有から、女性は関係性から物事を把握していったり、進めていくと言っている。しかし、残念ながら、たいていこのような議論…

専業主婦イメージは貧困

女性のなかで、専業主婦願望をもつ若い人が増え、専業主婦を支持する人も増えている、という言説を最近見かけることが多くなった。と書き出すと、もうすでにその後には専業主婦への否定的イメージが浮かんでくる。人は大人になると自分の食べる分は自分で働…

異なる声 (5)

少年と少女はひとつの道徳問題にたいして異なる解決方法をとっている。少年は、所有物と命を対立するものとしてその道徳問題のなかに見い出し、この対立項を論理基盤として解決を導き出す。薬屋の薬とハインツの妻の命を比較すると、どう考えても妻の命の方…

異なる声 (4)

今読んでいるキャロル・ギリガンの『もうひとつの声』には興味深い例が使われている(以下、引用は1993年発行の英語版から)。少年と少女がある仮説にどう反応するのかを見、それで男女の違いを浮かび上がらせようとするのが狙いだ。ちなみにこの少年と…

異なる声 (3)

猛暑日が続いたので海に行ってきた。海に入って涼もうとか、ビーチの散策を楽しもうとかそういうことが目的で行ったわけではない。毎年の恒例で、家族が肌をやきに行くと言うので、それに付いて行ったのである。私は肌をやきたくないし、後でべたべたするし…

異なる声 (2)

「女性的な世界」が「男性的な世界」と一緒に議論されると、2つの世界は競合する位置に置かれることが多いように思う。例えば、「男性的な世界」での発達過程や行動や概念などは価値判断をする際の暗黙の基準や達成目標となっていて、そういう枠組みでは、…

異なる声 (1) 

家族が買っていたので、小倉千加子と斎藤由香(自称サントリーの窓際OL、または躁鬱病作家北杜夫の娘)によるコラボ本『うつ時代を生き抜くには』(フォー・ユー、2010年)を読む。家族(乱読が得意)が、5、6ページくらい読んだところで「おもしろくない…

男性不信の女性

男性不信の女性にとって、当たり前のことだが、男性はいつも加害者の立場にいる。だから、夜遅く帰宅するとき男性が後ろから歩いてきたり、エレベーターに男性とふたりきりになったりすると、その男性が怖い。何されるかわからないという気持ちに支配される…

フェミニズムがL文学化する−(12)まとめ−

フェミニズム言説がL文学化する現象は、フェミニズムが再生するための努力の表れだった。だからといって、L文学化しようと呪文のように唱えればそれでいいというわけではない。実際、L文学化するには、書き手の大変な努力が必要とされる。と思っていたが…

フェミニズム言説がL文学化する −(11)フェミニズム言説はどうL文学化したのか−

フェミニズム言説がほぼ完全にL文学化したのは斎藤美奈子によってである。そもそも、L文学という括りをつくったのが彼女だから当然の帰結だと思われるかもしれないが、そうなのである。斎藤の前にL文学化した本の例があるのではないかという反論もあると…

フェミニズム言説がL文学化する−(10)フェミニズム言説はどうL文学化したのか−

上野の美意識は横に置いておくにしても、彼女の「オシャベリ文体」は幅広い読者層に訴求力があった。ただ、彼女の本がベストセラーになる背景にフェミニズム側からの自身に対する反省があったのも確かで、今では、その反省を無視しては、フェミニズム言説を…

フェミニズム言説がL文学化する−(9)フェミニズム言説はどうL文学化したのか−

フェミニズム言説の前駆快感化あるいは快楽化。この延長線上でベストセラーになったのが、上野千鶴子の『おひとりさまの老後』(2008年)である。上野千鶴子は、常に自分に降りかかってくる問題について研究する。年月の経過とともに、関心の対象や考え…

フェミニズム言説がL文学化する−(8)フェミニズム言説はどうL文学化したのか−

いったん、女の友情や同性愛的脱性器的快楽といった女の子の感性が出てくると、それがいくらわずかだったとしても、常にアンテナをはっているフェミニストは敏感に反応する。そのひとりが小倉千加子である。手元にないので、正確かどうか全く自信がないのだ…

フェミニズム言説がL文学化する −(7)フェミニズム言説はどうL文学化したのか−

まずは、フェミニズム言説の変化からみてみよう。例にあげるのは、もっとも学術的な本のひとつである竹村和子『愛について』(2002年)の第一章「〔ヘテロ〕セクシズムの系譜――近代社会とセクシュアリティ。」本章は、もともと「資本主義社会とセクシュ…

フェミニズム言説がL文学化する−(6)フェミニズム言説はどうL文学化したのか−

フェミニズム言説の多様性は自明のことであり、十把一絡げにはできない。しかし、文体に関してはどうだろう。私が学生時代、フェミニズムを学ぼうと最初の頃に読んだのが水田珠江『女性解放思想史』(1988年、初出1979年)だった。政治思想のなかか…

フェミニズム言説がL文学化する−(5)L文学とは何か−

さあ、L文学の条件を整理してみよう。名付け親、斎藤美奈子によると次のようになる。 L文学――それは少女小説を遠い祖先とし、言語文化においてはコバルト文庫を踏襲し、物語内容においてはリブの感受性を受け継ぎ、先行するコミックやドラマやポップスなどの…

フェミニズム言説がL文学化する −(4)L文学とは何か−

ただ、『赤毛のアン』の結末にみられるような恋愛結婚に異議申し立てをする動きがあったのも事実である。1970年代に登場したウィメンズリブ運動がそれである。斎藤によると、じつはこのリブ運動が少女小説とは別のもうひとつの「L文学の土壌をつくった重…

フェミニズム言説がL文学化する−(3)L文学とは何か−

大正時代に始まった少女小説は、女の友情を大切に育み、またその過程で、様々に変奏してもきた。しかし、戦後になると女の友情は次の局面を迎える。国産の少女小説に代わって翻訳少女小説が台頭し、新たなテイストが付加されることとなったのである。翻訳少…

フェミニズム言説がL文学化する−(2)L文学とは何か−

最初に、L文学とは何かを考えてみたい。と言っても、実は答えはすでに用意されていて、斎藤美奈子「L文学解体新書――どこから来て、どこへ行くのか」(『L文学完全読本』所収)を読んでもらえれば、大体のことは分かる。だから、これから書くのは、私なりにま…

フェミニズム言説がL文学化する−(1)−

「フェミニズム言説が『L文学』になった。」こう断定するのは尚早すぎるだろうか。もし、尚早にすぎるとしても、「『L文学』になりつつあり」、やはりその流れは止められない、と考えるべきではないだろうか。それくらい、フェミニズム言説のL文学化は進んで…