異なる声 (5)

少年と少女はひとつの道徳問題にたいして異なる解決方法をとっている。

少年は、所有物と命を対立するものとしてその道徳問題のなかに見い出し、この対立項を論理基盤として解決を導き出す。薬屋の薬とハインツの妻の命を比較すると、どう考えても妻の命の方が重要である。だから、ハインツは薬を盗んでもいい。もちろん、この盗みは法に触れるのだから、逮捕されるのは当然のことである。でも、法はこのような道義的問題を組み入れてできているわけではない。だから、法にはこの道徳問題を裁くことはできない。法にできることは、法が定めた規則の網をかいくぐって、運用において道徳問題に対応することである。ハインツに最も軽い刑が下されるのは法の良心である。

このようにして、命は重要なものなのだから、その1点から、正しい行為は何であるかが導きだせる、と少年は考えている。その際、既存の社会や法の秩序にも配慮し、それらを変えることなく保ったままで解決しているのが特徴的だ。盗みは犯罪である。それでも命を救うためには、正しい行為になりうるということを、誰からも論理の瑕疵を指摘されることなく、証明している。

少女がとったアプローチは異なるものだ。薬を盗むという行為に対して、彼女はいささかの迷いを持っている。なぜなら、薬を盗むと今の社会・法秩序においてハインツは逮捕されてしまうからである。そうしたら、誰が妻の面倒をみることになるのか。いや、それ以前に、自分のために盗みをはたらくなんて、本当に申し訳ないと、妻の心はいたく傷つくだろう。やっぱり、盗んではいけない。

だったら、別の解決策をみつけるべきだろう。ハインツは借金することもできるし、薬屋に交渉してツケで薬を買うことも出来る。そうすれば、ハインツが逮捕されることもないし、薬屋も命を軽んじたと誹りを受けることもない。妻も大切な薬を手に入れることができる。盗みを犯せば、ハインツも薬屋も妻もみんな傷つく。そうならないためにも、関係者は話し合って、事の解決をはかるのがいいんじゃないかと思う。

少女の考えは、一つの正しい行為に収斂することはない。少年が正しい行為とした盗みについても否定的だ。理由はそれが反社会的行為だからというよりも、関係者が傷ついてしまうというところにある。みんなが傷つくことなく問題を解決するにはどうしたらいいのか、ということに少女は固執する。

この少女の固執の根底には、関係性を重視するまなざしがある。ハインツが盗みに走らないことは、妻のニーズに一時的ではなく継続的に対応し、そうやって妻を大切にすることになり、妻は夫の助けを必要としながらも夫の生活の心配もし、薬屋は薬屋で困窮する人を助けると同時に損をしない商いをすることができる。お互いの関係を見つめ直したら、こういう解決策が最もいいのだと少女は答えたのである。

ギリガンはこのように少年と少女の反応を分析し、その違いを明らかにした。少年は正しい行為があるという。それを論理的に導き出している。瑕疵が無い分、反論は難しい。少女は正しい行為はあることにはあるが、それは1つではない。その場の状況と関係性を重視したなかから導き出せるようなものだと言う。

問題は、少年と少女の主張のどちらが正しいかだとか、説得性があるかだとか、そういうことではない。少年と少女はどちらとも自分の道徳観を述べただけだ。問題があるのは、少女の論の運び方では、「では、具体的にどういう解決策があるのか」と聞かれた場合、具体的に答えられないことだ。その場の状況と関係性は固定したものでないから、少女はそのように判を押したような質問には答えられない。「だから、いろいろ解決策はあると思うの」としか答えられない。「でも、解決策を決めないことには物事は進まないじゃないか?」と突っ込まれる。詰め寄られた少女は「だって、盗むのはよくないことだから」と循環的にしか反応できない。「なんだ、元の黙阿弥じゃないか。この少女、道徳問題に対処できないな」と結論づけられるのは必至である。

つまり、少女の声は抑圧されるのである。単一性を成熟とみなし、多様性を未熟とみる社会が彼女の声を抑圧する。え、社会は多様性を認め、推進すらしているじゃないかって?本当にそうなの?

ギリガンがやろうとしているのは、少女の声が聞き届けられるようにすることである。「異なる声」として、少年の声と優劣関係に置くのではなく、水平な関係に置くようにすることである。