2009-01-01から1年間の記事一覧

啓蒙なんてできるんですかーTAGTAS円卓会議にて

という質問が会場から出た。TAGTAS(Trans Avant-Garde Theatre Association)プロジェクトが行った円卓会議でのことだった。会議のテーマは「革命の身振りと言語I――演劇の自由と倫理」。ちょっとばかり大げさに聞こえるテーマは、このTAGTASが大逆事件につい…

ちょっと事情があって、村上春樹について勉強することになり、自宅にある春樹ものを読んでいるが、なぜかほとんどのものがつまらなくがっかりしているところ、昨日くらいから大塚英志『物語論で読む村上春樹と宮崎駿――構造しかない日本』を読み始める。50…

「タトゥー」―「閉ざされた家族の愛憎をめぐり、近代社会に潜む深層心理を描く、演劇の持つ官能性に満ちた話題作!」(ちらしより)???

近親相姦は、文字通り、血縁関係にある近親者が性的行為をもつことを指す。それ以上でもそれ以下でもない行為である。しかし、社会的文化的タブーとして扱われている。タブーであることの起源は一向に明らかにされることなく、だから、さまざまな憶測がなさ…

唐組紅テント初体験―「黒手帳に頬紅を」

ちょうど2週間前の5月9日、唐組の紅テントを初体験した。場所は新宿・花園神社で、テントは少し紅色が取れかかってはいるものの、堂々と張ってあった。運動会で見るような白いテントとは違い、遊牧民のものを思わせるような、なんとなくエキゾチックな雰…

涙無しには読めない江藤淳

私は江藤淳の著作を読んだことがない。上野千鶴子の有名なエピソード―『成熟と喪失―“母”の崩壊』を涙無しには読めなかった―で、彼の名を知っているくらいである。そのエピソードを知ったときに『成熟と喪失』を読もうとしたことはあったが、どこで泣いたのか…

湯浅誠とジジェク

昨日は偶然の一致かなあと思うことがあった。新聞のテレビ欄に「生存権を考える」(NHK教育)という番組の紹介(試写室)があって、その番組には「派遣切り」で失職、住む場所も失った労働者を支援してきた派遣村村長の湯浅誠氏が出演するということだっ…

犬と女子小学生

犬を散歩させているときである。低学年らしき女子小学生に途中で出くわした。我が家の犬トントンは、小学生が大好きである。ちょろちょろ動き回ったり、奇声をあげながら遊んでいるのが特にお気に入りで、自分も一緒に遊びたいと考えているようだ。それで、…

『腑ぬけども、悲しみの愛を見せろ』

昨晩遅くに、録画しておいた映画『腑ぬけども、悲しみの愛を見せろ』(吉田大八監督、2007年)を見た。日本映画で久々のヒット。勝因は、登場人物が内面をもっていないこと。内面をもつというのは、「私は見た感じはこうかもしれないけれども、本当はこ…

『走ることについて語るときに僕の語ること』

村上春樹は、1982年の秋、職業作家としての生活を開始してから、今日現在までずっと走り続けている。天気の良い日とか、時間が空いているときとか、涼しい季節にとか、なんとなくその日の気分でとかいう感じで走っているのではない。26年間、毎日走っ…

ドラマ「アイシテル」

テレビドラマにはまりそうだ。そのドラマは「アイシテル。」マンガの『アイシテル〜海容〜』(伊藤実、2007)が原作という。原作は未読なのでアマゾンであらすじを読んだ。子ども(息子)が子ども(息子)を殺す事件が起こり、なぜ殺したのか、物語はそ…

男性不信の女性

男性不信の女性にとって、当たり前のことだが、男性はいつも加害者の立場にいる。だから、夜遅く帰宅するとき男性が後ろから歩いてきたり、エレベーターに男性とふたりきりになったりすると、その男性が怖い。何されるかわからないという気持ちに支配される…

黒色綺譚カナリア派

赤澤ムックは劇団「黒色綺譚カナリア派」の主宰者であり、劇作家・演出家・女優でもある。なぜだかわからないが名前を知っていたので、彼女作・演出の演劇を見に行った。「義弟の井戸」という。劇は古典的な悲恋もの。女は山の手のお嬢さん、男が下町の職人…

フェミニズムがL文学化する−(12)まとめ−

フェミニズム言説がL文学化する現象は、フェミニズムが再生するための努力の表れだった。だからといって、L文学化しようと呪文のように唱えればそれでいいというわけではない。実際、L文学化するには、書き手の大変な努力が必要とされる。と思っていたが…

社会派ベタ記事

朝日新聞を読んで馬脚という言葉を思い出す。馬脚をあらわしたのは4月9日の夕刊15面のベタ記事。新聞の顔である社説でなくて、あまり注意がおよばないベタ記事に真の姿というものは表れるのだなあとつくづく実感する。問題の記事はDV事件の短い報道で…

フェミニズム言説がL文学化する −(11)フェミニズム言説はどうL文学化したのか−

フェミニズム言説がほぼ完全にL文学化したのは斎藤美奈子によってである。そもそも、L文学という括りをつくったのが彼女だから当然の帰結だと思われるかもしれないが、そうなのである。斎藤の前にL文学化した本の例があるのではないかという反論もあると…

「三文オペラ」を見る

ブレヒトの音楽劇「三文オペラ」を見る。演出は宮本亜門。ポストモダンの意外な一面を発見した感じがする。原作者のブレヒトならば悪く受けとるだろうが、演出に関して個人的にはなるほどと思わせるものがあった。と言っても演劇を見るのは、テレビで放送さ…

フェミニズム言説がL文学化する−(10)フェミニズム言説はどうL文学化したのか−

上野の美意識は横に置いておくにしても、彼女の「オシャベリ文体」は幅広い読者層に訴求力があった。ただ、彼女の本がベストセラーになる背景にフェミニズム側からの自身に対する反省があったのも確かで、今では、その反省を無視しては、フェミニズム言説を…

長くつづくもの

『荒野の七人』(1960)をひさしぶりに見る。内容は分かっているので、『七人の侍』とキャスト合わせをして楽しもうということになった。ユル・ブリンナーは志村喬で、ホルスト・ブッフホルツは菊千代だから三船敏郎。三船敏郎はブレイクしたのに、この…

フェミニズム言説がL文学化する−(9)フェミニズム言説はどうL文学化したのか−

フェミニズム言説の前駆快感化あるいは快楽化。この延長線上でベストセラーになったのが、上野千鶴子の『おひとりさまの老後』(2008年)である。上野千鶴子は、常に自分に降りかかってくる問題について研究する。年月の経過とともに、関心の対象や考え…

フェミニズム言説がL文学化する−(8)フェミニズム言説はどうL文学化したのか−

いったん、女の友情や同性愛的脱性器的快楽といった女の子の感性が出てくると、それがいくらわずかだったとしても、常にアンテナをはっているフェミニストは敏感に反応する。そのひとりが小倉千加子である。手元にないので、正確かどうか全く自信がないのだ…

飲料コマーシャルの不思議

飲料コマーシャルと言えば缶コーヒーと缶ビール。コマーシャルの種類、量、どちらも他の商品より抜きん出ている。価格帯が同じということがあるのだろうか、各社しのぎを削っている。CMたくさん作れるくらい儲けてるのねえ、と感心するが、そのため、テレ…

フェミニズム言説がL文学化する −(7)フェミニズム言説はどうL文学化したのか−

まずは、フェミニズム言説の変化からみてみよう。例にあげるのは、もっとも学術的な本のひとつである竹村和子『愛について』(2002年)の第一章「〔ヘテロ〕セクシズムの系譜――近代社会とセクシュアリティ。」本章は、もともと「資本主義社会とセクシュ…

「悲望」

小谷野敦が「悲望」を『文学界』に掲載したのが2006年8月。実在の人物が確実にトレースできるくらいに「実録」ぽかったし、内容も小谷野の思いつめた恋情が生々しく前面に出ていたので、掲載後に被害者が出そうだと思われ、「これは単行本にならないよ…

フェミニズム言説がL文学化する−(6)フェミニズム言説はどうL文学化したのか−

フェミニズム言説の多様性は自明のことであり、十把一絡げにはできない。しかし、文体に関してはどうだろう。私が学生時代、フェミニズムを学ぼうと最初の頃に読んだのが水田珠江『女性解放思想史』(1988年、初出1979年)だった。政治思想のなかか…

『イン ザ・ミソスープ』

「落伍者のための名作フェア」と本の帯に書いてある。「落伍者」という響きに釣られてしまった。落伍者というのは、何か固い基盤から落ちこぼれてしまった者という印象がある。そして、落ちこぼれ方にも2つあって、自分に非がある場合とそうでない場合があ…

松村邦洋

昨日の東京マラソンでタレントの松村邦洋が一時的に心肺停止状態になったというニュースを聞いて、やっぱりねえ、と思った。何がやっぱりねえかと言うと。何年か前のお笑い番組で、太ったタレントの身体検査をしていた。ちなみに今の松村の身長・体重は報道…

小児性愛

最近、淫行条例や児童ポルノ法のもと逮捕されるひとが増えてきた。これは、未成年者や小児を大人の性的行為から守る法律が整ったため、それまで見過ごされてきた行為が刑罰の対象となってきたからでもあるし、また、性的欲望の権利を求める近年の運動の高ま…

フェミニズム言説がL文学化する−(5)L文学とは何か−

さあ、L文学の条件を整理してみよう。名付け親、斎藤美奈子によると次のようになる。 L文学――それは少女小説を遠い祖先とし、言語文化においてはコバルト文庫を踏襲し、物語内容においてはリブの感受性を受け継ぎ、先行するコミックやドラマやポップスなどの…

フェミニズム言説がL文学化する −(4)L文学とは何か−

ただ、『赤毛のアン』の結末にみられるような恋愛結婚に異議申し立てをする動きがあったのも事実である。1970年代に登場したウィメンズリブ運動がそれである。斎藤によると、じつはこのリブ運動が少女小説とは別のもうひとつの「L文学の土壌をつくった重…

フェミニズム言説がL文学化する−(3)L文学とは何か−

大正時代に始まった少女小説は、女の友情を大切に育み、またその過程で、様々に変奏してもきた。しかし、戦後になると女の友情は次の局面を迎える。国産の少女小説に代わって翻訳少女小説が台頭し、新たなテイストが付加されることとなったのである。翻訳少…