吉田秋生「スクールガール・プリンセス」

吉田秋生の「スクールガール・プリンセス」を読む。思春期の少女がもつ承認願望をさらりと描いた秀作。思春期の少女は本作品の主人公。といっても、読者にそうとは分からない人物に設定されている。見かけの主人公は、大学卒業後に結婚し、女の子を出産、真…

シスターフッドが一部のサブカルに存在することについて

漫画家瀧波ユカリとサブカル系エッセイスト犬山紙子による『女は笑顔で殴りあうーマウンティング女子の実態』(2014)を読了。一読したところ、女子のカースト実態を、マウンティングという動物の生態から借用した言葉で説明する本と思える。確かに、そ…

ファンタジー小説は功利主義的か否か

森見登見彦の『夜は短し歩けよ乙女』(2006)を読む。積読していたものである。タイトルが気になっていて読もう読もうと引き延ばして数年。ようやく手にしてみた。ネットの感想文を読んでみたら、文体が独特で、それが良いとか読みづらい原因だ、などと…

鬱病の本を読んで

適応障害と不安神経症と軽い鬱をまとめて患っている私は、神経症系本をよく読む。そういう本を読んだ後は、例えば著者の鬱が感染したようになって、気分がすこぶる悪くなり、寝込むことが多い。それでも読んでしまうのは、他の人はどうやって神経症と共存し…

『更年期少女』を読む

表紙が綺麗でドキドキしたので、一呼吸して落ち着いて読んだ。主人公はエミリー、シルビア、ミレーユ、ジゼル、マルグリット、そしてガブリエルの6人。1人を除いては、みんな更年期の日本人女性だ。一同介して会うときは、ひらひらのフリルドレスを着ている…

涙無しには読めない江藤淳

私は江藤淳の著作を読んだことがない。上野千鶴子の有名なエピソード―『成熟と喪失―“母”の崩壊』を涙無しには読めなかった―で、彼の名を知っているくらいである。そのエピソードを知ったときに『成熟と喪失』を読もうとしたことはあったが、どこで泣いたのか…

『走ることについて語るときに僕の語ること』

村上春樹は、1982年の秋、職業作家としての生活を開始してから、今日現在までずっと走り続けている。天気の良い日とか、時間が空いているときとか、涼しい季節にとか、なんとなくその日の気分でとかいう感じで走っているのではない。26年間、毎日走っ…

「悲望」

小谷野敦が「悲望」を『文学界』に掲載したのが2006年8月。実在の人物が確実にトレースできるくらいに「実録」ぽかったし、内容も小谷野の思いつめた恋情が生々しく前面に出ていたので、掲載後に被害者が出そうだと思われ、「これは単行本にならないよ…

『イン ザ・ミソスープ』

「落伍者のための名作フェア」と本の帯に書いてある。「落伍者」という響きに釣られてしまった。落伍者というのは、何か固い基盤から落ちこぼれてしまった者という印象がある。そして、落ちこぼれ方にも2つあって、自分に非がある場合とそうでない場合があ…