『更年期少女』を読む

表紙が綺麗でドキドキしたので、一呼吸して落ち着いて読んだ。

主人公はエミリー、シルビア、ミレーユ、ジゼル、マルグリット、そしてガブリエルの6人。1人を除いては、みんな更年期の日本人女性だ。一同介して会うときは、ひらひらのフリルドレスを着ていることが多い。食事はフレンチ。話す言葉も山の手言葉。夢の世界にいるような感覚を当然のごとくに楽しんでいる風情が伺える。

主人公たちがそう振る舞うには理由があって、それは、彼女たちが思春期の時に読んだ少女漫画『青い瞳のジャンヌ』のいまだ熱烈なファンであるということだ。彼女たちの思春期といえば60年代。日本がまだ貧しく、華麗で華美なものなど日常には存在していなかったモノクロの頃。もちろん彼女たちも野暮ったい日常生活に埋もれて生活していた。『青い瞳のジャンヌ』はこの思春期時代に彼女たちが渇望していたものを与えてくれた。18世紀のフランスを舞台にし、伯爵令嬢ジャンヌを主人公として、彼女の波瀾万丈の半生を描き、華麗で華美な生まれも外見も感性も持ち合わせた少女が自由闊達に成長していくことへのあこがれを少女たちの飢えた心に植え付けたのである。自分もそうなれるという夢や可能性を見させてくれたのである。

だからといって、主人公たちは『青い瞳のジャンヌ』に思春期時代と同じ強度でずっと更年期になるまで熱狂し続けていたわけではない。ただ、一部のファンがファンクラブのような形で細々と活動していただけだった。

それが、数年前から関連サイトが立ち上がり、思春期の頃『青い瞳のジャンヌ』へ傾けていた情熱が一気に再燃したのだ。件の更年期女性の名前は、そのサイトで使っているハンドルネーム。会合のときも互いにハンドルネームで呼び合っていたのだった。更年期女性だからといって、彼女たちの活動は今時の若者にひけをとらない。こてこての衣装は見ようによってはコスプレだし、二次制作はするし、ジャンヌのイラストをサイトにアップしたりもする。掲示板もときに荒れたりする。オフ会も盛況だ。

でも彼女たち、どこかが違うらしい。フレンチレストランでは、給仕が彼女たちを見て苦笑する場面がある。つまり、作中、作者自身が彼女たちを嫌みをこめて描いていることがある。彼女たちを斜めからみる視線が本の基調になっているといっていい。例えて言えば、冬ソナのDVDをツタヤで借りるときに、無意識に感じる店員の嘲笑のようなものがこの本のなかにはある。

更年期女性がなにかに熱中するとどうしてこういう事態が起こるのか。更年期女性が関心をもつ全てに関して、同じような反応が起こるのではない。ある種の対象にはまりだすと意地悪される。

登山に夢中になっても誰もなにも言わない。ガーデニングしかり。ゴルフしかり。が、石川遼を「遼クン」と呼んで応援すると笑われる。

答えは簡単である。作中にも書いてあることだが、更年期女性は少女がえりをするのである。そして、このことを多くの人は全面的に受け入れることができない。それが、嘲笑という形を取っているのである。

更年期と言えば、多くの問題が女性を直撃する時期である。まず、女性ホルモンの影響で自分の体と精神の変調に悩まされる。体は重力に抗えず、老い度を示すほうれい線もくっきりしてくる。子育てが終わったと思ったら、その子どもが思春期で反抗をしだすも、原因はさっぱり分からない。家のローンの返済も終わっていないのに、夫は会社でリストラ。そうこうするうちに、親の介護もしなければならない。老後が近づいてきて経済的にも不安は募る。

女性更年期は今のところ否定的なことばかりだ。そんなとき、あることを契機として、少女の頃を思い出すことがある。少女の頃を思い出すということは、少女の頃が良かったからである。なにが良かったかといえば、夢や可能性を追いかけることができたということだろう。更年期にあっても、それは可能かもしれない、そうやって女性更年期を否認するのである。問題を無かったことにしてしまいたいのだ。

しかし、果たして、更年期は、夢や可能性を追いかける時期なのだろうか。私はしばし考える。そして、それは違うと思う。そうではなくて、若い人の夢や可能性を叶えてあげる時期ではないのだろうかと思う。だから、若い人とは違う現実に直面するのである。若い人にとって未来が明るくあるように、更年期にある人たちは、その現実を否認することなく、ひとつづつ丁寧に対処していかなければならない。そのために更年期まで生きてきて知恵を身につけてきたのである。

息抜きが必要なときだってある。それは当然のことだ。だが、勘違いをしてはいけない。未来は若者のためにあるのである。みんなが未来を志向したら、現実の諸問題はだれが面倒を見るのか。

更年期女性文化は迷走している。若々しい服装からこてこての西洋風ドレス。溢れんばかりの老いを防ぐためのスキンケア用品。若さへの執着は未来への執着と一緒。一方で、解決しない問題は山積するばかり。手に余る。「更年期少女」は、この未来と現実という両極を行きつ戻りつして、問題を先送りしながら、第三項の老いへと我知らず向かっているのである。

ということを、『更年期少女』を読んで考えたが、本はちょっとゆるい推理小説