『更年期少女』

を読もうと思う。著者は真梨幸子、2010年発行の小説である。帯がないので内容が分からない。少女が更年期女性のようにいやに歳をとっている小説なのか、はたまた更年期女性がいまだ少女のような意識をもっているのを描く小説なのか。装画は松苗あけみが手がけており、典型的な少女のプリンセスが黒い色を背景にドンと真ん中に描かれている。少女の小説を少女で表象するというのは、あまりにもベタなので、多分、更年期女性が主人公なのだろうと推測する。

この小説は、家族がネットで見つけて買ったものだ。最近の私自身の年齢への対処の仕方が解せないのが購入の理由らしい。

私は40代後半である。家族はその年齢に見合った意識をもち、かつ年齢に応じた身なりをしてほしいと思っている。が、私はどうもそう簡単には自分の年齢を受け入れることができない。

まずは、ここ数年、自分の正確な年齢を即座に思い出すことができない。去年だか一昨年かの年齢を今の年齢と勘違いすることがある。だから、生年月日からきちんと計算して年齢を言うようにしている。

服を買うときも、年齢相応のものをどうしても買えない。年齢相応のものを着ると、年齢相応に見えるどころかもっと歳をとっているように見えるような気がするのだ。そう、例えていえば、TBSアナウンサーの長峰由紀のようになってしまう。彼女の年齢は知らないが、年齢と服装が合っているために(と私は思う)、年齢をよりとっているように見える。そして、その年齢超過分をカバーするかのように厚化粧をしている、と思えて、同性から見てなんとも複雑な気分がするのだ。キャリアウーマンとして年齢相応の活躍をしようとする気概が服装に表れるも、そこで生じる女としての「歳をとった」という焦りが厚化粧に表れるという、仕事人と女とは両立困難なのよというメッセージが届いてしまうのである。そして、自分が発するメッセージを消すように、長峰が厚化粧して必死に努力すればするほど事態が悪化するので、痛々しくて見ていられないのである。

外見を工夫すればそんな苦労もしなくてもいいし、両立困難のメッセージを出すこともないだろうと思う。だから、不要に歳をとっているように見えるよりも、若く見える外見をして年齢不詳のように思われる方が、うまくいけば若く見られて感心される方がいいと考えてしまうのである。

実年齢より自分を若く見せたいという意識は、自分はまだまだ若いという意識の表れでもある。若いという意識に利点があるとすれば、それは若い人たちの潮流にまだ乗っている、女として通用する、ということだろう。

が、これはアンチ・エイジングのイデオロギーにどっぷり浸っているに過ぎない。独りでドタバタしているだけである。思うに、人は意外と冷静で、実年齢通りの外見しか見ないし、実年齢に応じた意識しか感じない。いくら若く見えても、実年齢がバレると、えらく若作りしているな、と思われること必至である。

家族にとって、私はいつもドタバタしているように見え、痛ましかったのだろう。それで、一歩自分から離れて客観的に自分を見直してほしいという願いをこめて、『更年期少女』を買ってくれたようだ。

*追記
今ちょっと『更年期少女』の裏表紙をみたら、更年期の女性が少女のプリンセスの格好をした姿で笑っている装画があった。かわいいかと問われればかわいいと言えるが、実際に見たら仰天するだろう、と思わせる絵だ。ああ、びっくりした。