フェミニズム言説がL文学化する−(6)フェミニズム言説はどうL文学化したのか−

フェミニズム言説の多様性は自明のことであり、十把一絡げにはできない。しかし、文体に関してはどうだろう。私が学生時代、フェミニズムを学ぼうと最初の頃に読んだのが水田珠江『女性解放思想史』(1988年、初出1979年)だった。政治思想のなかからフェミニズム思想を抽出し、それを歴史化するという偉業を成し遂げた本だが、文体の硬質さや専門用語の多用などで読むのに随分苦労したのを覚えている。政治思想畑の人の文体はこうなるのか、と思った。

その後、私はアメリカに渡り、6年ほどを経て帰国する。日本のフェミニズムがどう変化したのか気になって、というか遅れをとるまいと気負って、その頃に書かれた入門書を手にしてみた。大越愛子『フェミニズム入門』(1996年)。これは、西洋の理論を紹介したり応用したりしていた当時の大半のフェミニストとは違って、日本の仏教に切り込んで性差別を明らかにしようとするフェミニスト大越による新書である。自分も西洋かぶれになるんじゃないかと心配していたので、その不安を払拭しようと、あえて西洋寄りじゃなさそうな本を選んだ。しかし、文体が水田のもの以上に硬く、正直驚いてしまった。そして、残念にも途中で挫折した。『フェミニズム入門』はどう読んでも学術本だった。新書でこうならば、単行本は必ずや気合いが入って、難解度も上がるんだろう。読むのに時間がかかる、そう思うとテンションも下がった。

他のフェミニズム本も多かれ少なかれ同じ傾向にあった。が、このことは同時に、水田が全盛期だったころには異端視されていたフェミニズムがいまや学術として認められたということを意味しており、全くの慶事ではないか、と思い直した。そう考えると、複雑ながらも文体を受け入れなければならないような気持ちになった。そうやって、私にとって、フェミニズム言説の文体の硬さは、最初は必要悪と思え、それから序々に自然なものになっていった。

それでも反省を込めて言いたいのだが、硬い文体は、内容をその良し悪しに関わらず不必要に難解にしがちである。ただ、だからといって、硬い文体に対して一方的にとやかく言うべきではない、ということは分かっている。フェミニズムが問題視する性差別は公共圏にも親密圏にも幾重に存在する。公共圏における性差別は政治や経済や法律などに関わるのだから、「公用語」を使わなければいけないときが多い。それも正確にだ。このような「公用語」の使用が内容を難解にすることは多々あり、一概に硬い文体を責めることはできない。

ところが、親密圏の性差別を扱う場合は事情が変わってくる。親密圏では、私の人生、私の恋愛、私の性、私の容貌など、「私」が主役になる。そして、私たちが「私」を表現するのに用いるのが日常のごく平凡な言葉である。この「私」を硬い文体に流し込んだらどうなるだろうか。説教だろう。フェミニズムは「私」を「正しい=性差別のない」方向に導いてくれるイデオロギーである。だから、その核には教化という使命がある。が、教化が文体のせいで窮屈なものになったら、その教化に抗いたくなるのが「私」というものである。教化が正義の押し付けのように感じられたらおしまいなのである。ほら、親が説教したら、正しいと思っても子どもは反抗するでしょう。だから、親密圏の性差別を扱う文体が硬いというのは、教化には致命的な打撃となる。

公共圏を扱う文体の硬さと親密圏を扱う文体の硬さは、その効果が全く異なる。にも拘わらず、そのことが分かっていなかったフェミニズムは、ふたつの文体を同一視し、そうやってフェミニズム言説全体を硬直させたのである。難しく書けばそれで体裁が整い、学術になっていたからそれはそれで大学に就職もでき、結果、一般読者が視界からすっぽり抜け落ちるという、あってはならないことをしでかしたのだ。

ところが2000年ごろを境に、上に述べたようなフェミニズム言説が変わってきて、L文学化してきたようなのである。フェミニズム言説のL文学化はふたつの方向から進んだように思う。ひとつは、フェミニズム言説そのものに変化が現われ始めたこと。もうひとつは、同じく2000年ごろから始まったフェミニズム・バッシングとともに、フェミニズム内部からも、私たちの側に反省すべき点はないのだろうか、という声が挙がり始めたことである。