ドラマ「アイシテル」

テレビドラマにはまりそうだ。そのドラマは「アイシテル。」マンガの『アイシテル〜海容〜』(伊藤実、2007)が原作という。

原作は未読なのでアマゾンであらすじを読んだ。子ども(息子)が子ども(息子)を殺す事件が起こり、なぜ殺したのか、物語はその背景を追っていく。すると、加害者の子どもが思いがけず心に深い傷を負っていることが判明する。その傷は、どうも、母の愛に関係しているらしい。子どもがこの心の傷からどうやって立ち直るのかが物語の核になっていると思われる。

原作はまた、加害者の母と被害者の母が、事件が解明するにつれて何か共通するものを相手に見出し、惹かれあう過程も描いている。いがみ合うのではなく、惹かれあう。これも考えさせられる問題だ。

ドラマ1回目を見て、加えて原作のあらすじを読むと、ドラマのテーマはたったひとつしかない。1回目では、母は女・妻としてではなく母として登場し、子どもは子どもとしてではなく息子として登場する。一方、後景に退く他の家族。これは、母と息子の関係をハイライトするためである。そして、母の口からあふれる息子への愛の言葉。今までせき止めていた愛が一気に表に出た格好だ。どうしてこのようなことが起こったのかと言うと、事件を契機として、これから知ることになる息子の自分への愛を予感し、それにあらかじめ答えを与えたからである。ということは、ドラマは、母の愛を愚直に求める息子に焦点を当てていくことになるはずである。母への愛にどういう輪郭を与えるのか、これがドラマのテーマなのである。

私は、息子の母への愛は唯一無二のものだと考えている。胎児のとき母親とへその緒を通してつながっていた息子は、産道を通って誕生したとたんそのつながりを断たれる。あの羊水のなかで幸福にたゆたっていたユートピアは二度と戻らない。周りの人々はみな誕生を祝うが、息子にとっては喪失の経験でしかない。

ここまでは息子も娘も同じ立場にある。両者の母への態度が変化するのは、成長の過程で起こることとなる。つまり、息子が自分はペニスをもっていると自覚する過程でだ。

息子はあのユートピアに戻りたいと考え、その方法を考える。そして、答えを得る。産道からそこに戻ればいいのである。母とのセックスがその夢を可能にする。

が、世間では母子間の性愛がタブー視されているので、息子は自らの欲望を抑圧することを学習しなければならない。が、そうやって欲望を抑圧しても、その痕跡は彼の心に残っていて、その痕跡によって、性愛というかたちこそ取らないが、心情というかたちで母への愛を育むことができる。抑圧を被っていても愛がかたちを変えて残るのである。

母への愛がこれほどまでに強いものだとしたら、これは今後の息子の恋愛にも影響を及ぼすのは間違いない。つまり、息子は母以上に愛する人を見つけることができないし、見つけることもしない。

だから、息子のパートナーは、つねに彼の母の次にしか愛されない。なぜなら、息子にとって、母という人がいるのに母以上の人を見つける必要性はどこにも見出せないからである。というか、そもそも見つけることができない。それでも、必要性があるというなら、その理由を知りたいくらいだろう。

ドラマは、その必要性がないことを間接的であれ伝えることと思う。加害者の母と被害者の母がお互いに惹かれあうのもこれでおわかりだろう。ふたりは、母が息子の性愛の崇高な対象であるという秘密を共有するのである。