結婚しなくてもいい (3)

「それでも、生きていく」(フジテレビ)は、殺人の被害者家族と加害者家族の心の行き交いを描いたドラマである。なかでも、妹を殺された兄の瑛太と、少年であった殺人犯の兄をもつ妹・満島ひかりとの恋愛へと発展していく交流が中心を占め、秀逸。展開具合が一昔前の純愛ドラマ風なのが凡庸でいい。互いに不器用に話をしていくうちに次第と心が開かれあう。その開かれようが恋愛というかたちをとり、果たしてこの恋愛は被害者家族と加害者家族の間に深く横たわる溝を乗り越えられるのか、という風にね。二人は結ばれるのか(結婚するのか)という期待を視聴者にもたせ、慣性の法則により、視聴者は純愛ものとしてドラマを見ることに。視聴者の期待を外すことはない。

と思っていたら、ドラマは最後で視聴者の期待をあっさり裏切る。二人が恋愛感情をもっていなかったというのではない。恋愛感情はもっている。ただ、純愛ドラマに発展すべき、苦難を乗り越えての結婚というのが達成されないのである。

瑛太は結婚を前提としての恋愛に未練があるようだが、満島ひかりはそれをあっさり否定する。彼女は、自分の兄がまたしても起こした殺傷事件で、被害者を植物人間にしてしまって、その被害者の幼児が自分になついていくものだから、母親の代わりにというか、その子の母親になるから、という理由で、瑛太のプロポーズらしきものを断るのである。植物人間になった女の意識は多分戻らないだろうから、満島ひかりはその子の母親で一生あり続けるだろう。幼児が思春期を経て、大人へと大きくなっていくにつれ、その子から非難・罵倒が浴びせられることになるかもしれないし、そうではなくて、反って母親二人を持つ幸せをその子は持つかもしれない。未来はどうなるか予測不可能である。満島ひかりは、その予測不可能性とういう可能性に身を投じる。

満島ひかりが幼児の母親となるからといって、瑛太との交流が途絶えることはない。実際、二人は手紙でやりとりをしているし、今後会ったりすることも、セックスしたりすることもあるかもしれない。ただ、満島ひかりは恋愛とは離れたところで家族を形成することに自分の生を賭けているのである。

結婚しないことが出来る。でも家族は作ることが出来る。満島ひかりはそのような(今の社会では不可能かもしれない)可能性を伝えているような気がしてならない。

と、昨年のドラマや映画は、どうも女の生き方に関心があったようです。男性はといえば忘れ去られている。というか、男性にはあまり変化が期待できそうもないのですね。あるとすれば、男性はこの不況下ますます社畜化してくるってことでしょうか。しがみついた生き方っていうか。シャレにならない。それに比べて、女は不可能かもしれないとういうことに可能性を見い出しています。したがって、今年は、結婚しないことが出来る、でも家族は欲しい、という女の生き方がどう展開していくかに注目すべきでしょう。