異なる声 (10)

アメリカの都市部の黒人ゲットーを想像してみよう。そこには、暴力とか貧困とか家族崩壊とか最底辺の生とかを多くの人が想像することだろうと思う。しかし、そういう一面があることは否めないにしても、異なる角度から見てみると、黒人家族同士が相互扶助している光景が見られなくもない。そして、多くの場合、この相互扶助が黒人ゲットーの暴走を食い止めている。すくなくとも、いかに暴力や混乱に満ちていても、相互扶助が最低限のところで生を確保していると言えるかもしれないのである。

このように、異なる角度から物事を見てみると、見えてなかったものが見えてくる。しかし、これができそうでできない。おかげで、女性は随分と長い間、理性的行動や話が出来ないと思われてきた。何か事が起きると、感情的・情緒不安定になり、混乱し、筋が通らないことを話し出すという風に。今でもそうで思われているふしがある。

はたして、女性はそのようにヒステリックなのだろうか。違う、と言ったのがギリガンだった。彼女はインタビューを通して、女性が異なる思考のもと行動し話しているのではないかと推察したのである。見えなかったものを見たのである。

では、女性が違う論理で動くということがこれまでどうして見えていなかったのだろうか。理由は、発達心理学のモデルが、男性が価値を置く基準をもとに形成されていたからだ。このドミナントなモデルのもとでは女性が重視する価値は価値そのものを失う。つまるところ、女性の声は聞こえなくなってしまう。その一言に尽きる。そして、これは画期的発見だった。

そういう指摘って、フェミニズムがここ数十年やってきたことだから、聞き飽きたって?そういう人にはもう一度、次のことを考えてもらいたい。

フェミニズムが登場して以来、社会は女性に何を期待し、そしてそのために何を賦与してきただろう。

何よりも先に、社会は女性に自律を求めた。自分が立てた規範のもと行動し、外部の制約に拘束されない生き方だ。そういった自律的生き方をするには、自立が前提条件となる。自分一人でも生きていけるように、精神的・経済的自立が必須となるのである。自分一人でも考えていけるようになりなさい。人に依存したり指図されたりしないためには、足下から固めていきなさい。そのためには、まず、経済的に一人でも生きていけるように働きなさい。社会はそのために法整備を行います。女性の権利を保障していきます。

大変簡略化して細かいところを見ていないという批判を敢えて承知の上で言うと、フェミニズムが女性に求めたものというのは、それによって社会が女性に賦与したものというのは、女性が一人でも生きていけるようにということであり、その支援であった、と総括できる。そうやって初めて、女性は男性と平等に生きていけるのである。キーワードは自律、自立、正義、権利等である。

フェミニズムや社会によるこういう女性に対する支援は否定することはできない。この記事の中でも書いたように、これらの支援は女性に利することはあっても不利に働くということはないように思われる。

だが、改めて考えてみよう。自律、自立、正義、権利等は、実は男性型発達心理学を形成していた主要概念ではなかったか。これらの概念は、自律し、他人に依存することなく、普遍的法に従っていきていけるかどうかが人間発達の指標となるというドミナントな発達モデルを形成して、そのために女性の声を排除していたのではなかったか。孤立する人間を基本モデルとしていたのではなかったか。

フェミニズムや社会が、女性が一人でも生きていけるような支援作りとして必要とした概念が、実は女性のもつ特性を殺してしまっていたということはないだろうか。

女性は個として生きていくというよりも、誰か他の人とのつながりのなかで生きていくことを良しとする。他の人への配慮をもととして物事を考え、進めていくのだ。もちろん、フェミニズムから学んだこともある。他の人への配慮のみではなく、自分への配慮も怠ってはいけないということである。そうしないと、自己犠牲の海の中に溺れてしまい、自分がどういう方向に向いているのかが分からなくなっていき、結局のところ大切にしていた他の人との関係性も壊してしまいかねないからである。自分も大切にしなければならない。同時に他の人との親密さも大切なものなのだ。

ギリガンの言葉を借りて女性の望む心の発達をまとめてみよう。

「(人の心の)発達を観察する際の見方を、個人の自己実現からケア(配慮)の関係性へと転じると、女性は継続する親密さ(の中に生きること)が成熟へと繋がる道だと表現する。」(170)

フェミニズムが提案する女性のための支援を否定することはできない。しかし、このように、女性は男性とは異なる声で話していることも忘れてはならないのだ。

この女性の異なる声。これまでどのように捉えられてきたのだろうか。これは保持していくべきものなのだろうか、捨て去るべきものだろうか。保持していくべきなら、どのように展開していく性格を持っているのだろうか。捨て去るべきなら、何故そうしなければならないのだろうか。関連するだろう本を数冊購入した。読んで考えてみようと思う。