フェミニズム言説がL文学化する−(2)L文学とは何か−

最初に、L文学とは何かを考えてみたい。と言っても、実は答えはすでに用意されていて、斎藤美奈子「L文学解体新書――どこから来て、どこへ行くのか」(『L文学完全読本』所収)を読んでもらえれば、大体のことは分かる。だから、これから書くのは、私なりにまとめた斎藤の評論とちょっとした補足説明である。

L文学の起源は、みんなが「やっぱりね」と思う時代と文化現象にある。まず、L文学の特徴として斎藤が挙げた、作者・主人公・読者が女性である、という三位一体説を考えると、時代は大正時代しか見当たらない。誰でも知っているように、大正時代には、女子教育が推進されていたこともあってか、他の娯楽が少なかったのか、とにかく、女性たちは文学を読み漁った。そのなかでも、女性たちの心(正確には少女たちの心)を鷲掴みにしたのが、当時書かれ始め、ある種社会現象ともなった少女小説だった。もちろん、作者・主人公・読者は女性である。そして、この女性の共同体を現代にも続くほどに不動のものとしたのが、少女小説の代表格ともいえる吉屋信子の『花物語』というわけである。ああ、なるほど、と誰もが納得する起源ではないか。

その『花物語』は、花の名前を冠したタイトルのもとに書かれた短編小説集である。大正5年から13年まで「少女画報」に掲載され、少女たちに大好評を博した。吉屋自身そのことを熟知しており、長編小説に格闘していた時でさえどうにか書き続けたという。少女たちの期待に背けない、という慮る気持ちがあってのことだと思う。この時の気持ちを表すためだろうか、後年の昭和14年、吉屋は次のように述べている。「そして、今日まで、この物語が、多くの少女の瞳に、読まれて来たということは、私自身意外なほどに、嬉しく胸をうたれずには、いられない。」(『吉屋信子全集1』)『花物語』を媒介にした作者と読者の幸せな関係がここにある。

ところで、少女たちに読まれて来たことが望外に嬉しかった、と吉屋が素直に喜びを吐露する『花物語』の内容とはどういうものだったのだろうか。吉屋が『花物語』に託して、そして少女たちに受け入れられた思いとはどのようなものだったのだろうか。『花物語』の何が良かったのか。

それは、簡単に言えば、「この辛い世の中にも、地面から10センチ浮くくらいの幸福があってよ!」というメッセージである。

吉屋にとって、少女たちは楽しかった幼年時代から現実に放り込まれた存在だった。そういう寄る辺ない少女たちにしてみれば、現実は固い地面である。貧困であったり、孤児であったり、病弱であったり、仕事の辛さであったり、思春期特有の友人関係だったり、儘ならぬ困難という固さである。この困難を誰が理解してくれるのか、この困難からどうやって抜け出せるのか、少女たちは悩んだに違いない。『花物語』の少女たちも、それぞれそういう境遇にあった。が、彼女たちには思わぬ幸福が舞い降りてくる。もうひとりの少女から、ちょっと年上のお姉さまから、舶来の香りがするおばさまから、いっときではあっても心のこもったやさしい心遣いを受けるのである。その心遣いはタイトルの花のごとき薫り高いものだ。主人公の少女たちはその瞬間に、自分たちが抱える困難を理解してくれるひとはいるのであり、また、自身で乗り越えることができるかもしれないと思えるのである。

このように表現される心遣いはまさに、女にしか分からない、女による、女のための友情と言える。女の友情が幸福の源泉で、吉屋はこのことを少女たちに分かってほしかったのだし、また少女たちもそれを熱烈に支持したのである。