小倉千加子と角田光代


大学(専任)教員を辞めて筆一本で立っていこうと決めたフェミニスト小倉千加子、52歳。フリーターや今でこそ注目を浴びているニートについてずっと書いてきた(歌人、桝野浩一評)職業作家、角田光代、37歳。私は42歳で二人の間に位置する。

私がフェミニズムを学んだ学生時代、小倉は学者中心のフェミニズムに抑圧されているという気持ちがあったようで、批評対象をセックスや松田聖子など目線の低いところにおいて、フェミニズムをみんなのものとして膾炙しようとの心意気があった。後年、フェミニズムの泰斗水田珠江と夫婦別姓問題で一戦を交えることは、すでにあの時点で運命づけられていたようなもので、水田の別姓支持、小倉の別姓反対という政治的立場を超えた、ハイ・アンド・ローの息詰まるような闘争が繰り広げられたのは言うまでもない。

学生の私はこういうかたちでフェミニズムを語ることができるのかと思い、それ以来小倉を一応読むようにしているが、最近、どうも違うと思い始めてきた。それは、小倉の「森昌子に見る結婚の燃え尽き症候群」(『週刊朝日』05/02/25)と昨日読んだ角田の『対岸の彼女』(2004年)の違いになぞらえることができる。

小倉は舌鋒鋭く、読者への愛情が容赦ない批判としてあらわれ、叱咤激励のつもりでも咆哮のように聞こえ、特に、彼女が語りかける「少女」たち、つまり「大人の女性」になろうとせず庇護を必要とする場を確保し続けたい女たちを震え上がらせるが、それが実は彼女の倫理でもあるわけで、読者を一般に想定するということは彼女たちに媚びることでは決してないとする態度を一貫してとっており、それがひとつの魅力となっている。発せられるメッセージも変わることなく、「わがままな女」になれである。家族がいても、夫や子どもを当てにすることなく生きることができるし、そもそも家族などいなくとも、女は一人で生きていける。それを「わがままな」生き方と責められようと、何の損することがあろうか。

森昌子」もこの路線で書かれていた。もっとも、森昌子は小倉が説く女の生き方を逆に生きた例である。彼女は、「わがままな女」から降りて、夫を当てにし、子どもを当てにし、加えて、夫の稼ぎの悪さからパートに出、実父の介護も引き受ける、4重労働に追い込まれた。ひとのために生きている、それが今の森昌子である。それでいて、彼女は生きることの充実をおそらく感じてはいない。助けを求めるも、ベターハーフであるはずの夫は無関心で、彼からの協力も諦めざるをえない。

その状態を小倉は「結婚の燃え尽き症候群」と呼ぶ。この言葉が含意するのは、彼女の充実は「わがままな女」だったときに、本人にそれとは気づかぬかたちで存在していたのであり、結婚を境として、いつのまにか我がものであった充実を喪失してしまった、取り返しのつかないことをしてしまった、というイメージである。私たちは、「森昌子」を通して、結婚の底知れない罠のようなものを理解することができる。

ところが、「森昌子」を読んで、結婚の罠について思いをめぐらすことはできたものの、当の森昌子にはゴシップ以上の関心が及ばなかった。薄暗い、人の気配がしない、まるで廃墟のような住空間で、孤独にたたずんでいるだろう森昌子に関心がいかなかった。森昌子にとって、人気歌手という過去の栄光が家庭生活で何ら意味を持たなくなったのに、周りは今だその過去を通してしか彼女を理解しようとしない、その苦境のなかで、今彼女が何を思っているか、私は想像力を働かせることができなかった。小倉の「森昌子」を読むと、私は、かように人非人だったかと思ったのである。

フェミニズムを口語で語ろうとすれば、森昌子本人を犠牲にする「森昌子」という矛盾が生じるのは予想できたことである。学術系フェミニズムのように、例えば、「フロイトは当時にしてすでにJ.S.ミルの男女同権論の陥穽を看破しており、男女の非対称性こそが男女差別の向こう側を見通すことを可能にすると論じた、云々」と言っても、誰も分かりはしない。その意味で、小倉がこの抑圧的フェミニズムに早々と見切りをつけ、みんなが関心をもてる批評対象を選んでフェミニズムを説いていったのは間違っていなかったと思う。

そして、彼女が批評対象として、例えば有名人や芸能人を選択したとしても、非難はできない。「女性差別から解放されるべき」みんなは、そもそもフロイトやミルを読まないのだし、私たちだって自分の文章をひとに読んでもらうためにちょっとした操作をする。私なんかは、姑息にも身近な固有名詞、つまり連れ合いの清田をネタにして、プライバシー暴露路線で読者を集めようと試みることがある。もっとも、小倉の場合は、理念のためにしているのであって、私のような自分に利するようにとの下心があるのではない(と思いたい)。しかし、敢えて意見を言えば、彼女はひとを論じることと、ひとを通して何かを論じることを混同しているため、そのひととそのひとが占める場を見つめる心が欠けている。

いや、心がけの問題ではない、と登場してきたのが角田である。角田によれば、それは時代の移り変わりを小倉がもう生きていけてないのではないか、ということになる。
小倉は未来を可能態として捉えている。『「赤毛のアン」の秘密』(2004年)で彼女は何度も大草原の比喩を用いる。作家モンゴメリが思春期まで過ごしたプリンス・エドワード島の草原は、見渡す限り何もなく、避難所のない恐怖を覚えずにはいられない。彼女はこの恐怖を喚起させるような局面に幾度となく立ったが、結局のところその大草原に身を投じようとしなかった。結婚という社会の慣習に寄り添うことを選びとったのである。自らの手で未来を閉ざした彼女は、その生真面目さゆえに、自分を責めることと結婚を責めること、自己責任と被害者意識、その両極を行き来し、そういうなかで、可能性をもっていた過去という観念に取り憑かれる。だからこそ、自分の現在に生きることの実感をもてず、終いには自殺せざるを得なかったのである。モンゴメリが教えてくれたこと、それは、現状肯定しようとする自分に向き合う勇気をもち、孤独や恐怖に耐えながらも未来に投機する、そうすれば向こうには何かがあるはずである、ということだ、小倉はそう主張する。

対岸の彼女』では大草原で可能性を示すような、一世代前の表現は出てこない。未来を可能態として語ることもないし、そもそも主人公たちは10代でありながら、未来を語ることに徒労感さえ覚えている。当てのない放浪に身をまかす彼女たちの眼前には大草原などなく、あるのは灰色のビルや銭湯の煙突やネオンが光るラブホテルだけであり、その向こうにもさらなる向こうにも同じ風景が横たわっている。彼女たちが見る空洞のような風景は、同時に彼女たちの心に巣くう空洞でもあり、角田は、その空洞を思考しようとする。未来という時間が入れば、勝ち負けのゲームに乗ってしまうことになる。勝ち組のパイは限定されているのだから、ごく僅かなひとだけしかご褒美にはあずかれない。そんな自分だけが抜けがけするという発想を角田はよしとしない。負の側にいるのであれば、その負に執拗にこだわり、そこから逆説的ながらも生きていく勇気を、主人公たちが何度も口にする「なにか大事なもの」を探り当てることができるのかもしれない、『対岸の彼女』はそう語っているような気がする。

森昌子のようにドツボにはまることは誰にだってありうるし、それは現在では避けられないことでもある。彼女は私たちである。そうであるならば、私たちは大草原に一歩を踏み出せばよいのだろうか? それとも苦境にいるからこそ隣の、しかしながら「対岸」にいる彼女にまなざしを送ればいいのだろうか? 小倉と角田のどちらの世代にも属さない「くびれ世代」の私につきつけられた課題である。

05/02/24の日記に加筆修正