安野モヨコと吉澤夏子

安野モヨコと吉澤夏子(1)

昨日は清田とスキーに行ってきた。私にとってスキーは苦行である。やりたくないのに行かなければならないからである。たかがスキーかもしれないが私にとってはされどスキーである。

清田は結構スキー好きで、11月にもなると、スキーだけでなく山頂から見る墨絵のような景色だとか、昼食時のビールだとか、今年のボーダーはああだこうだとか、アフタースキーの温泉浴だとか、熱く語り、各地のスキー場が毎年そう変化するわけでもないのに『ポップ・スノー』というスキー場紹介雑誌を必ず購入し、就寝前の30分をその熟読にあてる。連れ合いがそういうモードに入れば、こちらも行きたくないと言うわけにいかず、楽しみを共有したいし、あのスピードへの恐怖を克服する鍛錬にもなりそうだし、そうなれば何でも挑戦できるかもしれず、などとたかがスキーにあれやこれや意味を押し込むものだから、スキー前日は思い詰めた気持ちになる。

今回もいつも同様、睡眠薬をとり、6時間は寝れる万全の体勢をとった。ところが不覚にも起きたのは早朝4時。先日自傷をやりすぎたのか、左足の小指から膿が出、そのあまりもの痛さに目が覚めてしまったのである。
私の頭はすでに混乱状態である。この足でスキーができるだろうか、雪道を冷静に運転できるだろうか、いやそれよりも、スキー後の疲労が帰路の運転に支障をきたすのではないだろうか、寝てしまうのでは? 運転は私がしなければならない、清田がビールを飲む以上。

スキー止めない? と今さら言う勇気もない。緊張は高まり、一方では小指がずきずきし、悶々とするなか朝をむかえ、その状態で7時半頃自宅を出ることとなった。攻撃は最大の防御というのは本当で、緊張を悟られまいと余裕の表情で運転をしたら、なんと自宅からスキー場の手前10分位のところまで一気に行けた。余裕が出ると、軽口もたたけて、清田に「いいよね、ずうっと楽しててさ」と嫌味まで言えてしまうほどだった。ところが清田は「別に運転しろと強要したわけでも頼んだつもりもないけど」と言う。そうであった。我が家ではこういう嫌味は通用しないのである。

社会に生きる私たちは基本的に「よい子」である。強制を願望と思いこむという点において。時々、児童が「学校に行きたくない」とか「どうして学校に行かなければいけなの?」とダダをこねるときがあるが、それは学校が強制であることを生きている証である。学校って楽しいよね、と言えるくらいになって初めて強制に慣れてきたといえるのである。そのときになって、私たちは自我を中心に物事を捉えていくことができる。

自我には心地よいものと不愉快なものがあり、その快・不快が判断基準となり各自の世界観が築かれていく。こういったことができてこそ、主体は中心化されている、と言える。だから、主体は例えば権力に対して「横暴だ!」と自らの意志として弾劾することができるのである。

私たちがこのように主体化されているというのは今や共通認識になっている。あるひとが経済的理由で大学に進学できなかった、と言った場合には、「それは貧乏を口実にしているのではないか、意志さえあれば大学進学できる位社会環境は整っているはずだ」となるし、ある有能な女が結婚のために仕事を辞めると「彼女の意志だからこちらとしては何とも言いようがない」と溜息をつく。個人を尊重するというのはこういうことを指すのである。

漫画家安野モヨコは「女子力」評論家として名高いらしい。書籍のゴミ箱「ブック・オフ」に積まれていた彼女の『美人画報 ハイパー』(2001年)で知った。ちなみに、安野を一応、復習すると、現在好んで使われる「女子」「男子」は彼女の言語センスより生まれた。(参考資料:『アエラ』02/06/02号)

もとをたどれば、「男子」「女子」は学校でしか使われていなかった言葉。それを校外に持ち出してみたら見事に成功したのが安野である。見た目は男や女であっても、建前上、個人として教育するのが学校であり、その教育方針を示すのが、そして個人として扱われているという(疑心暗鬼でも)気持ちを表現するのが、社会では使われない「男子」「女子」であった。(スポーツ界でも使われているが、使用方法はほぼ同じと私は見る。)

そういう意味があるものだから、社会で使われている「男」「女」、「男性」「女性」というセットが持ち込む、さまざまなニュアンスを回避できる。「女性」と言えば、なにか「女性」を意識しているようで、その意識している「女性」は片意地張っているようなイメージを与えるかも。もしかして、その「男性」を性の対象として意識しているというメッセージが伝わっている可能性も。「女」と言えば、男女平等が達成されてないのにそうであるかのように装っている違和感がせりだすような気も。なにやかやと悩みがつきないところに、ピタッ、とはまる言葉があった、というようなことだと思う。

個人として自分をプレゼンすれば、「男」「女」、「男性」「女性」に否応なく、それも方向が定まらずに、反応していた自分を解放できる。相手からも、おっ、この娘、どこか違うぞ! という感触を得ることができるかもしれない。

「女子」を使う理由はそれだけではない。実はもうひとつ「利点」がある。「女子」と呼ばれていた小・中・高校時代は、(建前上)個人として尊重されていたので、洋服も好きなのを比較的自由に着られていた。でも、社会でひらひらフリルは、どちらかと言えば、社会人としての自覚に「欠ける」。ところが、「女子」で個人主義を強調すれば、ひらひらフリルも可能となる。男女という見た目が違うなら見る目も違うし、そうだったら、私は私で好きな洋服を着たい、「女子」のままでいることを認めて、という気持ちがあるのだろう、と私は推測する。

そんなことするから、やっぱり女はダメだね、男女差別がなくならないのも当然だよ。ま、「オヤジ」をネガとすれば、「女子」はポジだね。「女子」と言うことで開き直り、何でも出来ると勘違いしてるんじゃないの? とも言い切れない。「女子」にこだわり続けて、大成功を収めた女もいるからである。

05/02/23の日記に加筆修正


安野モヨコと吉澤夏子(2)

NAFTA(北米自由貿易協定、1992年調印、1994年発効)をご存じだろうか? ごく簡単に説明すれば、EUへの対抗措置として作られた協定で、カナダ・アメリカ・メキシコの輸入関税を撤廃(全てではない)する、というものだ。この協定で一気に注目を浴びた地域がアメリカとメキシコの国境、それもメキシコ側に設けられた通称「マキラドーラ」。正確には輸出加工区である。原材料・部品の輸入関税を免除する、という協定内容を最大限活用して、アメリカや日本を初めとする先進諸国の企業が、メキシコの低賃金労働者を徹底的に搾取する場所である。トヨタソニーも日立も進出している。

このマキラドーラに対して、武装勢力を初めとする様々な対抗運動が起きているのだが、ここで簡単ではあるが紹介したいのは、ある非熟練労働者たちの労働争議。雇用条件・環境の改善を求める争議だったが、なにせ低賃金労働を引き受けなければならないくらい文化・技術資本を持っていない、と自覚していた彼、彼女らである。エリートたちと互角に交渉できるには、誰をリーダーにしたらいいか迷った。

そこで白羽の矢が立ったのがひとりの「女子」であった。問題の工場は風紀・規律が厳しいところで、従業員も機械作業に支障のでない服装をすることを暗黙の内に求められていたらしい(すいません、この辺りの事実関係あやふやです、7,8年前に読んだ報告なので)。ところが、その「女子」だけは、セクシー系ひらひらフリルを着て作業をしていた。改めて欲しいとかなりの圧力がかかったものの、着たいものを着て何が悪い、という態度で軟化することなどなかった。彼女のこの一徹した個人主義が評価されたのである。リーダーになることを快く引き受けた彼女は、会社との交渉をうまく運んだ。私が知る「女子力」エピソードのひとつである。

という風に、「男子」「女子」という言葉は、多くを語らせるほどの可能性を今のところ保持している。その発信者、安野モヨコ兼「女子力」評論家に戻ると、「女子力」とは、男子にいかに気に入られるか、サポートしてもらえるかを基準として自己演出できる力を意味するそうだ。その「女子力」獲得のためには、外(=見かけ)も内(=心)も「キレイになりたい」と彼女は力説する。さらに続けて「他人のキレイを許せない限りは、ブスのままである」、とまで言っている。スゴイことになっているが、「私は美人になりたい」という個人の意志は当然尊重されるべきもの、という理路ができあがっているのが分かる。

そして「美は個人的なもの」を学術にまで押し上げたのが、日本女子大学教員のフェミニスト吉澤夏子(京都大学教員大澤真幸の妻)である。フェミニズムは「個人的なものは政治的である」をモットーにしているが、美は個人的なものとして留めておいた方がよい、と主張し、就職まで得た女である。ついでに言っておけば、この主張のためだけにある(と私は思っている)『フェミニズムの困難』(1993年)は、おおいに「オヤジ」ウケし、フェミニズム本を取り上げるのにいささか乗り気でない新聞からも好意的に迎えられた。私の周りの女性研究者たちは、おおいに憤慨していた。

私たちにとって都合が良いときでも悪いときでも、個人の意志を尊重するのが近代社会である。さらに、個人の意志のもとなされた行動に責任をもつことも近代社会は要求する。全くの正論で、近代社会に住まう以上それは受け入れるべきことである。それと同時に、誰もが個人主義に胡散臭さを感じているのも事実であるし、そもそもこんな当たり前のことを今さら言ってもしょうがないのかも知れない。

私が清田に嫌味を言ったとき、そこには論理のすり替えがあった。私が道程の殆どを運転したのは、緊張や不安を読み取られないためであった。「意気地なし」と言われたくなかったからである。そういう意味で「自らの意志」で運転をし、清田が心中思っているかもしれないことを否定しようとしたのだった。

ところが、口に出たのは、「清田が、お前は意気地なしになりたいのか、と言うかもしれないので、運転せざるを得なかった」という内容だったのである。私は清田を暗に批判し、長い運転の責任を追及しようとしていた。自分の意志を清田の意志にすりかえた。

私の場合、自分の意志が実は他人の意志であったり、自分の意志であったはずのものを他人の意志に置き換えたりしてしまう。「相手は何を欲しているのか?」と「私は何をしたいのか?」という二つの疑問が張り合わされ、そこに基づく思考回路を手放せないでいる。私の批判に対して、清田でなくとも次のように応えるひとは多いであろう。「私はただ助手席に座り、安全運転を願っていただけである。」

05/02/23の日記に加筆修正