グロリア・スワンソン

それは、私にとって衝撃的記事だった。記事の内容ではなく、その記事が読者にある種の感情を呼び起こさざるをえない、狙いすましたかのような効果が衝撃的だった。こういうことを為すことがまだ有効であるのか、という記事に対する憤懣と言い換えてもいい。いや、正確に言うと、そういった効果への誘惑を断ち切れない私自身への憤懣である。

問題の記事は、朝日新聞に掲載されている「ニッポン 人・脈・記」シリーズのひとつ、「世界の貧しさと闘う」の最終回(05/10/25)、黒柳徹子のレポートである。黒柳はユニセフ親善大使として20年以上活動しているが、その記事のなかで、彼女はこれまでの活動のなかでも特に忘れられない貧しさがあるとして、次のような悲惨を述べている。

「一番途方にくれたのは、去年のコンゴ(旧ザイール)訪問。5歳の女の子の洋服がぬれていた。レイプで尿管が傷つき、膀胱にたまる前に尿が出てしまうのだという。「処女と交わるとエイズが治るという迷信があって、小さな子が狙われる。どうして。どうしたら。わからなくなってしまって。」」

この文章はどう読まれるのであろう。男のエイズ罹患者の狂ったような目つきを想像するのだろうか。それともこの事件の悲惨を見つめる黒柳に関心を寄せるのだろうか。心が押し潰されそうになっても立ち上がろうとする黒柳に。

実を言うと、私は黒柳をこっそり尊敬している。「最貧国を訪れるのにあんなオシャレをして」などと陰口を叩かれることもあったが、親善大使として活動することとオシャレであることは両立しうると応援していた。彼女のそういった先進諸国での消費主義にそまったライフスタイルが、そもそも最貧国を作り出す遠因となっているのでは、と原理的に批判することも可能であろうが、私は実の方を評価していた。行動する彼女を、行動へと彼女を駆り立てる正義への愛を評価していた。

しかし、世間は残酷である。行動へと彼女を駆り立てる正義への愛という気持ちはみな賞賛するのに、その愛のもと行動を起こせば批判するからである。いや、批判というよりも揚げ足取りという姑息が息を吹く。そういった逆風のなかで彼女をそっと応援するのが心地よかった。

私がそうやって応援するのは黒柳に限ったことではない。例えば、ビッグネームを挙げると、小野姉妹。オノ・ヨーコの『ただの私』(1990年)にしろ、小野節子の『女ひとり世界に翔ぶ――内側からみた世界銀行28年』(2005年)にしろ、正義への愛に満ちている。ヨーコが世界で最も嫌われている女の一人として強烈なバッシングを永劫に受けようとも、節子が政治利害のなかで孤立無援の場に立たされるとしても、彼女たちのなかで正義への愛は揺らぐことがない。節子がキューバの開発政策のひとつを称えている箇所などは、何度読んでも飽きることがない。キューバは「信じられないほど難しい経済問題」を抱えている。にもかかわらず、この国は中南米やアフリカ諸国の貧民窟出身の若者を援助する。彼と彼女たちが、中南米医科大学で、奨学金を受けて医学を学び、将来、「母国に戻り貧しい人びとに医者として貢献」できるように。それは、「一国の途上国があたえるもっとも美しい開発援助を実現している」のである。小野姉妹もまた、正義への愛を行動へと昇華する人たちだ。どうして彼女たちを愛さずにはいられよう?

ここで、件の朝日新聞記事が必然的に孕む問題が明らかになる。つまり、彼女たちを愛することは、正義への愛をもつことなのだろうか、それとも、正義への愛を愛することなのだろうか、という疑念をもたせるのである。正義への愛を峻別すること自体、極めて難しい作業である。しかし、あえてそれを試みて、ふたつの愛に分けてみれば、黒柳や小野姉妹を愛することが、正義への愛を愛することが、途轍もなく悲劇的であることがわかる。なぜなら、それが決定論的認識を示すものであるからだ。何かをする前に既に物事が決定されているという認識である。

もちろん、正義への愛への愛を、単に旧来のように、市民運動的な自己欺瞞ナルシシズムの表出であると説明しようとしているのではない。デモをしている自分に満足するとか、黒柳を心から応援している自分が好きとか、そういうのではない。そうではなくて、正義への愛を愛することは、正義への愛が自分の外部にあるという認識を前提としており、それが問題なのである。「私」は正義への愛をもたない、だから、正義への愛をもつひとを愛するのだという、自己のなかの否定性に依拠する愛。極端な話、このような愛は、「私」が状況如何によって、どのようにでも都合良く立ち回れる、ということを可能とする。そもそも、正義への愛という歯止めがないのだから。この浅薄なご都合主義が正義への愛を愛する者の正体であり、それを覆い隠すものが正義への愛への愛に他ならない。それを知らずして、正義への愛を心より愛すると思えるのは、それだけ内なる否定性が強力に前決定されていることを意味する。正義への愛を愛せるということは、正義を愛することができないことと等価なのである。

とすれば、朝日新聞記事が私のような読者を想定し、また増やそうとしているとなると、それは質が悪いとしか言いようがない。大メディアが、正義を愛さないよう奨励しているからである。

この種の啓蒙的言説と一線を画すためにこそ、グロリア・スワンソンは存在する。映画『サンセット大通り』(1950年)に、落ちぶれた大女優ノーマ・デズモントとして出演している女優である。まず、映画の内容を説明すれば、ノーマ・デズモントはサイレント映画時代の大スターである。しかし、サイレント映画が制作されなくなった今、かつては熱狂してくれていたファンも、自分の力で大きくした映画会社も、自分を大スターに育て上げてくれた監督セシル・B・デミルさえも、見向きもしない。映画界への復活を目論もうとも、誰も相手にしてくれない。唯一彼女に目がとまるとすれば、それは彼女の所有品であるノスタルジーをかき立てる時代がかったリムジンくらいである。それだけの価値しか認めてもらえないのが、ノーマ・デズモント。まさに落ちぶれている大女優と呼ぶにふさわしい。彼女への残酷な仕打ちはそれだけにとどまらない。落ちぶれたままでいたくないために復活を目論もうとする努力が、殺人を犯してしまうことによってしか報われない、つまり、どうあがいても復活できない立場へ追い込まれたときに、あれほど欲しかった「脚光」のまばゆいばかりのライトを手にするという残酷を生きる、それがノーマ・デズモントである。

こんなノーマ・デズモントを誰が演じたいと思うだろうか。ただでさえ、映画は内幕物。「要らなくなった」過去を次々と切り捨てることで、返って輝きを増すハリウッドを告発し、その面に泥を塗るものだというのに。何人もの女優が出演依頼を断ったと言われている。このように選考が難航するなか、グロリア・スワンソンだけが承諾した。言い換えれば、実際に監督セシル・B・デミルによってサイレント映画の大女優として何度も起用され、その後、サイレント映画の衰退とともに忘れ去られて、落ちぶれ大女優であった彼女に白羽の矢があたったのである。女優としての価値をもたないからこそ、主演として選ばれたのである。グロリア・スワンソンに求められたのは、女優としての価値をもたないという事実を受け入れるという、かつての大女優という立場から、そして、忘れられた大女優という立場からも、身を落とすことの勇気である。

映画の最後では、殺人を犯したノーマ・デズモントが、赤い絨毯が敷き詰められた階段を優雅におりていく。カメラのシャッターを押す新聞記者たちが群がるホールに向かって。威風堂々とした足取りだ。なにせ、それは「脚光」を浴びる女優として彼女が復活した瞬間なのである。が、同時に、その瞬間は彼女がもはや女優でもなんでもなく、ただの殺人者でしかないことを示すシーンでもある。聴衆は皆それを知っている。しかし、ノーマ・デズモントの心的現実はそうではない。彼女は、不可能なものを手に入れて、それゆえに人間としての尊厳を取り戻し得たのである。一方、聴衆はそういう彼女を発狂したと表現するしかない。

不可能なものは手に入れることができない。だから、不可能なものは不可能なのである。従って、それを手に入れたと思ったとき、不可能なものと「私」が一致したとき、私たちは狂っていると言える。ということは、私たちにとっての最善は、不可能なものを手に入れようと生きることになる。グロリア・スワンソンが自らの女優としての軌跡を醜態として晒して教えてくれたことである。

正義に話を戻すと、正義をもつことは不可能である。それはもとうと努力するしかできないものである。だから、正義を尊ぶ気持ち、正義への愛が生まれる。そういった愛を育むには、朝日新聞的啓蒙言説では無理である。だからといって、今のところ、オールタナティブな言説があるというわけでもない。しかし、少なくとも、一度身を落としてみるというのはありかもしれない。不可能なものからさらに遠のくように見えて、実は不可能なものへの愛が生まれるかもしれないからである。