北田暁大と萩原葉子

2ちゃんねるという場はなかなか入りにくい。スレの多さと細かい字にクラクラするし、検索して適当なスレを探しても、特有の表現や絵文字や作法がよく分からず、書き込むのがとてもおっくうになる。それで、そんなつもりは最初からなかったと自分に言い聞かせ、少しばかり読んでよしとしようとするも、今度は肩に重しが乗っかったような疲れが出てしまう。これもまた、なぜそうなるのかよく分からない。

2ちゃんねるに入るということは、途中から入って書き込みをするということである。つまり、流れに乗れるか、流れを作れるか、に意味がある。だから、最初にスレを立てることほど簡単なことはない。先陣に立つことがこの場ほど軽視されるところはない。となると、くどくど考える前にまずは入ってみる、というのが、簡単かつ一番効果的方法である。門前の小僧習わぬ経を読むというではないか。しかし、それが出来れば何もこんなこと書きはしない。少なくとも私にとって、途中から入って書くのは苦労する。そこには、書くということに必然的にともなう孤独とは違う困難さがある。

音楽音痴の私が言うのもなんだが、ジャズでもアドリブで、サックスやらギターやらが入っていくのはかなり高度な技術を要するようだ。といっても、何も映画にもなったバードなどの一流ミュージシャンを思い浮かべる必要はない。それは、どのレベルにあっても難しいことのように思う。

何年か前、テレビでキンキキッズ吉田拓郎泉谷しげるからギターを学習するという番組があった。キンキキッズがどうにかメロディーを演奏できるようになって、泉谷とセッションする場面が仕上がりだったように記憶しているが、堂本剛がどうにも途中から入れなかった。泉谷が「こいつ、入れないんだよ」と困った顔をしていた。堂本剛も困っていた。後年、彼が過換気症候群だと告白して、なるほど、と妙に納得した覚えがある。

ということで、2ちゃんねるをちょっと予習しようくらいの軽い気持ちが芽生え、北田暁大著『嗤う日本の「ナショナリズム」』(2005年)を読む。良書である。

乱暴に言えば、先の1行で、北田が264頁を使って言わんとしていることが分かる。このような乱暴な書き方は失礼だ、と思われる方は、同書を読まれたい。

それでもあまりに乱暴過ぎる書き方だ、もしかして、冷静さを欠いているのでは、と私自身心配したが、それも杞憂である。なにしろ、本人がそういう風に扱ってくれても構わない、という旨を語っているからである。

上の1行を説明すると・・・。「良書である」、という価値判断を決定する大文字の他者はもはや存在しない。現代は、それがお約束の世界である。だから、「良書」という言葉で含意されるべき内容はもはやなんら意味を持たない。意味があるとすれば、「良書」で「ある」と判断する、断定調の「ある」であるが、この断定調「ある」でさえ、実はそのなかに自身を否定するような契機を内包しており、「良書である」と言っているけど、本音では「そう言っておいて、北田本をヨイショすることで、彼を嗤ってるだけ」という(半)否定の意味も同時に伝達する。徹底的な曖昧さ、そしてこの曖昧さを読み取れるリテラシーの高度な発達が、現代の言説空間の空気である。つまり、内容よりも「語りの形式」がせりだしてくる形式主義ということである。これを北田はアイロニーと呼ぶのだが、ここからが本書の醍醐味である。北田によると、このアイロニーが支配的時代にあっては、

「当然のことながら、アイロニーの空転をくい止める共同幻想は、戦後民主主義でなくてもかまわないし、そもそもアイロニーの空転をくい止める必要などない、という立場だってありうる。・・・「私の」議論は、多様な処方箋に開かれている。」(250)

そう言う北田にそそのかされて、処方箋=思想を書いたつもりにでもなろうことなら、

「本当に処方箋を必要としているのは、じつは、医師(のつもりでいる人びと)のほうなのかもしれない・・・・・・。歴史なき時代において、ということは処方箋=思想が敗北すること・・・を宿命づけられた時代」(250)

なのだから、とアイロニーを噛まされる。やられた、と歯ぎしりすると、

「それでもなお絶望せずに思想を語り続けること。この本の記述が、そうした蛮勇を動機づける契機となってくれることを願っている。」(250)

と、切り返される。それで、「本当のところは願ってもいないのでは?」と恐る恐るツッコミを入れてみると、「そこまで君はアイロニーに侵犯されているんだね」とでも言われそうな文体の「形式」がせりだすように書かれている。あるいは、その「形式」に憑依されざるを得ない状況を、身をもって実践しているのが本書であり、著者北田暁大である、とも言える。東大助教授といえども、一人だけ抜け駆けしようとしないのは「立派である。」

アイロニーの空転、この肯定とも否定とも名付けられないものが、必然的にもつ曖昧さやいい加減さが2ちゃんねる空間であるらしい。肯定→半否定→否定→半肯定→肯定の反復に乗り、時に難度の高い半否定や半肯定が捻り出せるとスレは自分のものになる。なるほど、私の肩の重しはそれ故であったか。

私は、どうやらアイロニーへのリテラシーが欠けているから二の足を踏んでいたらしい。でも、とも思う。私のやる気のなさは、そのような事実のみに還元されうるのだろうか? 真面目な私が、リテラシーに欠けると自己認識しようものなら、こっそりと勉強するのではないか? そうしないのは、実のところ、アイロニーが支配的時代であっても、それに関心がもてないからではないか? その証拠に、アイロニーの言説空間で跳躍する用語用例を模倣しようともしないではないか? 

曖昧さの操作が重要で、「初めから」、ではなく、「途中から」、がモットーの場に入れなかっただろうひとと言えば、先頃84歳で亡くなった萩原葉子である。現実に絶望していたとされる詩人萩原朔太郎の長女にして、家庭を顧みなかったと言われる父朔太郎を、亡くなる直前まで憎み続けた作家である。遺作『朔太郎とおだまきの花』は、「父は永遠の仇敵なの。復讐のために小説を書きたい」(朝日新聞、05/8/11)という意志に貫かれており、朔太郎への復讐心は、朔太郎を超えて、はるか彼方にいってしまいそうなほど激しい。

葉子が亡くなる何ヶ月か前、朔太郎が撮ったとされる数枚の家族写真が発見された。「父は現実が見えない人で、決して普通のお父さんではなかったけれど、何を思ってこんな写真を撮ったのでしょう」(朝日新聞、05/5/24)。何とも微妙な表現だが、84歳にして、今だ父を許すことができない葉子を彷彿とさせる言葉である。許せない理由はたくさんあった。朔太郎は母や葉子や妹明子のもとにはほとんどいなかった。母を女として扱うどころか、やさしいまなざしを向けることさえ少なかった。そういった夫に疲れた母が不倫に走ったために、姉妹は母の世話さえ受けることができず、乞食同然の生活を余儀なくされる。明子が高熱を出した時など、そのまま捨て置かれ、結局脳に障害を残し、今でも入院している状態である。両親は離縁するが、その後、姉妹の養育は鬼畜のような祖母に任せっぱなし。お父上はどうして私たちを見捨てたまうのか。

伝記的事実を並べ立てると、朔太郎に対する葉子の憎悪は分からないでもない。しかし、そのような親はどこにもいそうではある。憎悪の対象としての父朔太郎という像は、このような一般的方法では掴みどころがない。葉子の憎悪が輝きを増すのは、彼女が、このような伝記的事実に並列して、朔太郎の心的現実を捉えようとしているからである。いみじくも彼女が言った、現実に絶望して現実が見えなくなってしまった、そのひとの心的現実である。

『朔太郎とおだまきの花』は、朔太郎の苦悩に立ち会おうとする娘の記録である。群馬の医者の家に長男として生まれた朔太郎は、幼いときより父から人体解剖を見せられる。ぐるぐるした皺がある脳や赤く渦巻いている腸といった、ひとをひととして成り立たせているにもかかわらず、意味が全く欠けているようなモノ、人間に潜むその2つを分裂させる境界を見て育った。そのためか食も細く、虚弱体質。医者になる気持ちなどもうとう芽生えず、音楽や文学を頼りに生きていこうとするも、生活が最優先される当時にあっては、物笑いのタネになって、萩原家の「ばか息子」、「河原乞食」とも呼ばれる。朔太郎によると「痩せて身体は弱いし、いつでも何かのツキものにおびえて」いたのである。朔太郎のおびえは、後年になっても発作のように出ることがあったらしい。

おびえの対象が何であったのかは明らかにされていない。幼年時に経験した、人間の、世界の裂け目のようなものを引きずっていたのかもしれない。このぽっかり開いた空洞とでもいうものに表象を与えようと、そうやって、世界を閉じ、その整合性を求めようと、音楽や文学に救いを求めていたひと、それが詩人萩原朔太郎である。しかし、何度表象をはめ込もうとしても、裂け目は隠しようもない。それにピタッとはまるピースが見つからない。だから、空洞が間断なく襲ってくる。やることなすことが、ますます空洞を押し広げていく。喩えて言えば、歩くしかないので歩いていて、ふとしたことから歩いている道を見てみれば、ぽっかり穴が開いている、でも歩くしかない、そういう状態である。これほどに不安なことがあろうか。「それ」を対象化できずに、どうしてひととして健康に生きていくことなどできようか。ひとは「それ」を対象化できて、欲望をもてるというのに。

葉子は、朔太郎が父としての役割を果たさなかったから、彼を憎んだのではない。彼女は、父の不安、それは自由口語詩を生み出した者であることや有名文士たちとの交流をもってしても解消されることのない、そういった不安とそれに苦しむ父に我慢がならなかったのである。ああ、情けない。父というのは、私をこの世に導き入れてくれる、険しいまでに威厳のある存在であるべきだ。なのに、私の父は・・・。そうやって、父朔太郎を憎んで憎んで84年間の人生を送ったのが萩原葉子である。

萩原葉子の父は、実質的には生きていなかった。欲望をもてずに死んでいった。だから、葉子は、父に真正面から立ち向かうことで、父を父にしたかった。2ちゃんねるアイロニーの語彙は彼女には不必要であった。意味が浮遊し続ける世界に生きる父にアイロニーなどなんの効果もありはしないからである。

ということは、アイロニーが成立するには、確固たる世界が必要であるということになる。そして、アイロニーが支配的時代とは、この確固たる世界を暗黙裏に肯定する時代なのである。萩原葉子と、そして多分堂本剛は、この確固たる世界に生きていく知恵をもっていない。萩原葉子には憎しみしか、堂本剛には過換気症候群しかない。それをもって、彼らは、確固たる世界はどこにあるのか、と愚直なまでに問い続けるだろう。